2015年4月10日金曜日

2015年4月10日 今日のお弁当は「ジャンボチキンカツとタマゴサラダのお弁当」です!

2015年4月10日
日のお弁当は「ジャンボチキンカツとタマゴサラダのお弁当」です!

今日のおかずは、ジャンボチキンカツです♪
多分私のお弁当では初登場ですね|艸゚Д゚| ナヌ!!
昨日、業務スーパーへ買い物に行くと、私が行っているお店では取り扱っていなかった「鶏胸肉 2kg」を売っていました♪
いつもの鶏肉は鶏もも肉で、唐揚げやグリルチキンには良いですが、チキンカツには向かない種類、、、、
いつもバラ売りの胸肉では高くつくので敬遠していたのですが、2kgのまとめ買いが出来るならと即買いです( ̄▽ ̄)V
そして、今日は早速その胸肉1枚を使用して、当然自家製のジャンボチキンカツになりました♪
ジャンボチキンカツと言っていますが、鶏胸肉は厚い肉なので、1枚をカツにするには、お肉を横から包丁をいれて、観音開きの様に開いて大きく使います。
それなので、ジャンボにしたくなくてもジャンボチキンカツになってしまうのですねw
今日の食材 ※ 価格は変動しています!
●業務スーパー
鶏むね肉  2kg入り♪

今回もこの胸肉を1枚づつ取り出してビニール袋にいれて冷凍保存です♪

皆さん今日も(_´Д`)ノ~~オツカレ様デシタ♪
週末の金曜日ですが、関東は夕方前から雨になりましたね・・・
今日も自転車通勤だったのですが、帰りは当然降られました(ヽ´ω`)トホホ・・
そいれでも先日よりは,気温が高めで暖かいなのが幸いでした♪
さて、話は変わりますが、昨日はお休みでした♪
天気は良かったのですが、真冬の様に寒い1日でしたので、自転車活動は中止w
そこで昨日の休みは、大宮にある埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催中の企画展「氷川神社と大宮公園」を観に行って来ました。

私はこの「歴史と民俗の博物館」にて、5月10日まで開催中の企画展、「氷川神社と大宮公園」を非常に注目していたのです。
それは氷川神社について是非知りたい事があり、もしかしたらこの企画展で知ることができるかもしれなかったからです。
その私が知りたかった事とは?
大宮にある氷川神社は、「武蔵一宮 氷川神社」として、全国にある氷川神社の総本社です。
氷川神社の主祭神は以下の3つをお祀りしています。
  • 須佐之男命(スサノオノミコト)
  • 稲田姫乃命(イナダヒメノミコト)
  • 大己貴命(オオナムチノミコト)
そして、氷川神社は、「男体社(総本社)」、「女躰社(氷川女躰神社)」、「簸王子社(中山神社)」の3社一体で「武蔵一宮 氷川神社」を構成すると言われていました・・・・
しかし、先月にある事を知りました。
それは「アラハバキ神社」と言う聞き慣れない神社についての事です。
話に依ると、氷川神社とアラハバキ神社は関係が深いらしいとか・・・?
「アラハバキ神社」とは、漢字で書くと「荒脛巾神社」となる様です。
私も今までの人生で始めて聞いた神社で、当然主祭神は「アラハバキ神」となります。更にこの「アラハバキ神」とは、日本神話にも出て来ない謎の神様ですが、その姿形は日本人なら誰もが知っているはずです。
それは、下の物だと言われているからです。
2015-04-01遮光器土偶 亀ヶ岡遺跡 遮光器土偶

  この縄文時代に東北地方を中心に作られた謎の土偶・・・
これが「アラハバキ神像像」であると言われています。


そうです、上の遮光器土偶は、中学校の教科書にも載っていました。
これが謎の信仰「アラハバキ信仰」の御神体だとしたら、非常に興味深い話です。
これが作られたのは縄文時代ですので、アラハバキ信仰は日本書紀以前の縄文時代の日本の古代信仰であると言えます。
その謎の信仰の「アラハバキ神社」が、実は氷川神社と深い関係があるらしいと、先日webで調べ物をしている時に知りました。
アラハバキ神と氷川神社はどんな関係があるのか?
そんな事は今まで聞いた事はありません
そこで先日自転車通勤の途中で、近所の中山神社(簸王子社)へ行ってみました
・・・・・・・・・・すると、・・・・・中山神社の鳥居の脇にあったのです・・・・・・それが!
●中山神社
(氷川神社簸王子社)
●中山神社にある「荒脛巾神社」

中山神社の鳥居の脇にひっそりと佇み、殆ど気が付く人も居ない様です。
地元の人も、氏子もこの「アラハバキ神社」については知らないのではないでしょうか?
昨日はこの氷川神社とアラハバキ神社の関係について、もしかしたら分かるかもしれないと、企画展の「氷川神社と大宮公園」へ行ってきたのです( ̄▽ ̄)V

結論から言うと、予想通りと言うか、想像以上の事が分かりましたw
氷川神社とアラハバキ神社は関係が深いと書きましたが、それもそのはずです!
なんと!
江戸時代以前の氷川神社を構成していたのは、「男体社」、「女躰社」、「簸王子社」の3社に「アラハバキ神社(門客人社)」を加えた4社一体で「武蔵一宮 氷川神社」を構成していたのです|艸゚Д゚| ナヌーーー!!
つまり、氷川神社と謎のアラハバキ神社は関係が深いどころか、その構成員だっらのです。しかし、そのアラハバキ神社は、現在ではその存在すら忘れさられようとしています。その理由についても企画展で分かりました!
アラハバキ信仰は、朝庭と幕府によって殆ど消された信仰なのです。
アラハバキ神とは、日本神話に登場する神様ではありません。
従って、この信仰は朝庭にとっては都合が悪い存在です。
何故なら天皇家は天照大御神の直系の子孫であるとする自分たちの世界が、崩れるからです。
そして、仏教を普及させようとする江戸幕府にとっても、神社格としては江戸の総鎮守として、平将門をお祀りする神田明神があります。
(平将門は、朝庭側から見ると、自身を新皇と名乗り、クーデターを起こした罪人ですが、江戸幕府からすると、史上初めて朝庭と戦った武将であり、東日本を朝庭から独立させようとした英雄です)
つまり、両者にとって正体不明のアラハバキ信仰は、邪魔であったのです。
それが1678年の事件で伺えます・・・・
1678年に起きた事件とは、氷川神社のアラハバキ神社の宮司が、幕府の紀州鷹場で補鳥を犯したので、江戸幕府により氷川神社の門客人社を摂社してしまったのです。
これは事実上のお取り潰しです・・・
普通に考えて、氷川神社の宮司が、一人で紀州高場に行く事は考えられません。
当選従者もいれば案内もいたはずで、そこで補鳥を犯すなんてありえません。
これは幕府か朝庭のどちらかに嵌められたと考えて間違い無いでしょう。
現在の氷川神社境内の「アラハバキ神社(門客人社)」(左)

なぜアラハバキ神社の宮司は、こんな目にあったのか?
それは、氷川神社の本当の主祭神はアラハバキ神であった可能性が高いからであると思います。
何故なら氷川神社の記録で、主祭神が「須佐之男命、稲田姫乃命、大己貴命」と記述され始めたのは江戸時代以降です。
それ以前の主祭神の記録は無いなのです・・・・・
1678年の事件以降、氷川神社は3社で構成されて行きます。
そして、アラハバキ神社は摂社として、脇に押しやられていったので次第に忘れさられて行き、現在に至る様です・・・・・・・・
今回の企画展で、「アラハバキ神社と氷川神社」は切っても切れない関係である事が分かりました!
それにアラハバキ信仰がどうして謎の信仰なのかも判った気がします。
『アラハバキ』とは、古事記以前の日本の縄文時代から続く古代信仰なので、文字を持たない縄文人の資料が残って無いのも当たり前です。
そして、遮光器土偶がアラハバキ神像であると言うのも、納得が行く話ですね。
何故なら縄文時代の地層から出土するこの遮光器土偶は、1っ箇所では無く、東北地方を中心に各地から出土しているのは、アラハバキ神として、普及していたのではないでしょうか?
さて、この話を皆さんどう思いますか?
ヽ( ̄▼ ̄*)ノそいじゃまた♪
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